「便利」の積層が現場を殺す:SaaSを増やしすぎた企業の末路
「業務改善のために、新しいツールを導入しましょう」
この言葉が会議室で飛び交うとき、多くの企業はまだ、その先に待ち受ける「地獄」を知りません。
月額数百円から数千円で、特定業務に特化した高機能な機能が手に入るSaaS(Software as a Service)。その手軽さは、かつて数千万円かけて内製システムを開発していた時代を過去のものにしました。 営業管理にはSalesforce、タスク管理にはNotion、チャットはSlack、労務はSmartHR、経費はfreee……。 一見、それぞれの部署が「ベスト・オブ・ブリード(各分野で最高の製品を選ぶこと)」を実践し、生産性が劇的に向上しているように見えます。
しかし、社員数が50人、100人と増え、部門間の連携が必要になった瞬間、その「便利なツール群」は突如として牙を剥きます。 そこにあるのは、「分断されたデータ」「迷子になる業務プロセス」、そして**「管理不能に陥る情シス」**の姿です。
本稿では、業務アプリの視点から「SaaSを増やしすぎた会社の末路」を詳述し、なぜ「ツールが増えること」が「業務の高度化」とイコールではないのか、その構造的な陥りやすい罠を解き明かします。
1. 破滅への序曲 「現場主導」という名の放任
SaaS地獄への入り口は、常に善意から始まります。 「Excelでの案件管理が限界だ」「メールやチャットでの情報共有が煩雑だ」。 現場の課長やマネージャーは、自分たちの課題を解決してくれる「銀の弾丸」を探し、そして見つけます。
情シス不在の導入
100人以下の規模では、専任の情シスがいない、あるいはいても「PCの手配」で手一杯であることが大半です。 その結果、各部署がそれぞれの予算内で、それぞれの判断基準でSaaSを契約します。
- 営業部:「使いやすそうだから」
- 開発部:「APIが充実しているから」
- マーケティング:「以前の会社で使っていたから」
ここに「全社最適」の視点はありません。あるのは「部分最適」の集合体です。これが最初のボタンの掛け違いです。 初期段階では問題になりません。人数が少なければ、口頭やチャットで連携が取れるからです。しかし、この「現場主導」が積み重なると、企業内に「見えない壁」が極めて強固に構築されていきます。
2. 業務とデータの分断
SaaSが増殖した後の現場で起きる現象。それは「同じ日本語を話しているのに、話が通じない」というバベルの塔のような状況です。
1. 「顧客」の定義が揃わない
SaaS A(マーケティング用)とSaaS B(営業用)とSaaS C(カスタマーサポート用)。 これら全てに「顧客マスタ」が存在します。
- マーケ側では「リード(見込み客)」として登録される。
- 営業側では「取引先」として登録される。
- サポート側では「ユーザー」として登録される。
ある日、マーケティング部がメール配信をしようとします。「最新の顧客リストをくれ」と営業に頼みますが、営業のSaaSに入っているデータは「成約した顧客」のみで、失注した顧客の情報は更新されていません。サポート側のSaaSには、営業が知らない「現場の担当者」の連絡先が入っています。 結局、3つのSaaSからCSVを吐き出し、ExcelでVLOOKUPを駆使して「名寄せ」をする作業が発生します。SaaSを導入したはずが、最も泥臭い「Excel職人芸」が業務の核として残るのです。これは皮肉以外の何物でもありません。
2. IDと情報のサイロ化
「あの案件の資料、どこにある?」 「Notionに書いたよ」 「え、うちはGoogle Docで管理してるんだけど」 「チャットのログに残ってない?」
情報の置き場所が分散することで、検索コストが跳ね上がります。検索できない情報は、存在しないのと同じです。 結果として、「人に聞く」という最もアナログな解決策に回帰します。チャットツールは「情報の保管庫」ではなく、「リンクの貼り付け場所」と化し、そのリンク先のアカウントを持っていない社員は「権限申請」という不毛な待ち時間を過ごすことになります。
3. 一人情シスの崩壊
この状況下で、たった一人の情シス(または兼務者)にのしかかる負荷は絶望的です。
入退社手続きの「千手観音」状態
新入社員が1人入るたびに、情シスは何をするでしょうか。 Google Workspaceのアカウントを作り、Slackに招待し、Salesforceのライセンスを付与し、Notionの権限を設定し、SmartHRに登録し、Zoomの有償アカウントを割り当て、1Passwordの保管庫に招待し……。 それが10個、20個と増えていきます。SaaSごとに管理画面のUIは異なり、CSVインポートの仕様もバラバラ。 もし月初の入社が5人いれば、それだけで1日が終わります。人間が手作業で行う以上、必ずミスが起きます。「AさんにはNotion権限を付与し忘れた」程度なら笑い話ですが、「Bさんには閲覧してはいけない人事評価フォルダへのアクセス権を与えてしまった」となれば事故です。
終わらない「アカウント棚卸し」
さらに恐ろしいのが退職時です。 「退職時のアカウント削除漏れ」は、情報漏洩の最大のリスク要因の一つです。 しかし、管理すべきSaaSが30個あり、そのうち半分は「情シスが管理権限を持っていない(現場が勝手に契約した)ツール」だとしたらどうでしょう。 「あのツール、退職したCさんが管理者権限持ったままなんだけど……」 「クレジットカードの請求だけ来てるけど、誰もログインできない謎のSaaSがある」 こうしたゾンビSaaSや幽霊アカウントの探索に、情シスは探偵のように時間を浪費することになります。
4. 監査とセキュリティの壁
会社の規模が大きくなり、IPOや監査法人の監査が入る段階になって、この「ツギハギ建築」は限界を迎えます。
「誰が何にアクセスできるか」答えられない
監査人はシンプルに問います。 「財務データにアクセスできるのは誰ですか?」 「退職者のアクセス権は即時に剥奪されていますか? 証明してください」
SaaSが散乱している企業では、これに即答できません。 「Salesforceは営業部長がExcelで管理していて、経費精算システムは経理課長が……」 これでは内部統制(ITGC/ITAC)は不備だらけと判定されます。 慌ててIdP(OktaやEntra ID)を入れてSSO(シングルサインオン)で統合管理しようとしますが、時すでに遅し。 「安かったから」選んだSaaSは、SSOに必要なSAML認証に対応していなかったり、対応していても最上位プラン(月額料金が3倍になるEnterpriseプラン)でのみ提供されていたりします。 「安いツール」の寄せ集めが、結果として「統合コスト」で莫大な負債となって跳ね返ってくるのです。
5. 引き算の美学
では、どうすればよかったのでしょうか。 そして、今からどうすればよいのでしょうか。
「機能」ではなく「データ」で選ぶ
新しい業務アプリを導入する際、機能の多さやUIの綺麗さ(Fancyさ)に目を奪われてはいけません。 最も重要な問いは以下の2点です。
- 「そのデータは、どこに流れるのか?」
- 「そのマスタデータは、どこが正なのか?」
もし、既存のシステムとデータ連携ができず、二重入力を強いるようなツールなら、導入すべきではありません。多少UIが古臭くても、API連携が強力だったり、既存のプラットフォーム(Microsoft 365やGoogle Workspace)のエコシステム内にあるツールを選んだりする方が、長期的には正解です。
勇気ある「No」:Excelでいい
SaaS導入を検討する現場に対して、情シスは冷静な「ゲートキーパー」であるべきです。 「その業務、SaaSを入れると逆に面倒になりませんか?」 「月1回の頻度なら、Excelで運用して、SharePointに置くだけで十分では?」
「ツールがない=遅れている」のではありません。 「ツールを使わずともシンプルに回る業務プロセス」こそが、最も洗練された状態なのです。 SaaSはあくまで、シンプルに整理された業務を「加速」させるためのブースターに過ぎません。整理されていない複雑な業務にSaaSを導入しても、それは「混乱を加速させる」だけです。
結論:SaaSの断捨離を恐れない
もしあなたの会社が既に数十のSaaSに溺れているなら、今必要なのは「新しいツールの導入」ではなく「ツールの統廃合」です。
- 機能が重複しているツールを捨てる。
- 連携できないツールを捨てる。
- 利用頻度の低いツールを解約する。
これは痛みを伴います。現場からは「使い慣れたツールを奪うな」と反発が来るでしょう。 しかし、業務・データ・権限が分断されたまま150人、300人と組織が拡大すれば、その先には「組織崩壊」が待っています。
「増やす」ことは誰にでもできます。「減らす」こと、そして「増やさない」決断を下すこと。 それこそが、情シスと経営陣が持つべき、真のITリテラシーなのかもしれません。
AIに相談するためのプロンプト(テンプレート)
増えすぎたSaaSを整理し、経営層に「断捨離」の必要性を訴えるためのプロンプトです。
あなたは企業のITコスト最適化とセキュリティの専門家です。
現在、私の会社ではSaaSが無秩序に導入され、「データの分断」や「退職者のアカウント削除漏れ」が起きています。
以下の現状を踏まえ、SaaS統廃合(断捨離)の計画案と、現場・経営層への説得材料を作成してください。
# 企業情報
* 社員数: [例: 80名]
# 乱立しているSaaSの現状(カテゴリ別)
* チャット: [例: Slack(開発部), Chatwork(営業部), LINE WORKS(現場)]
* ストレージ: [例: Google Drive, Dropbox(一部部署), ファイルサーバー]
* タスク管理: [例: Notion, Trello, Backlog, Excel]
# 発生している問題
* [例: 退職者のアカウントがどこに残っているか分からない]
* [例: 必要なファイルがどこにあるか検索できない]
# 出力してほしい内容
1. **統合・廃止のロードマップ**: どのツールを「全社標準」とし、どれを廃止すべきかの推奨案。
2. **経営層への提言**: コスト削減効果とセキュリティリスク(情報漏洩)の観点から、断捨離が必要な理由を述べた1枚ペラの構成案。
3. **現場への説明**: 「使い慣れたツール」を取り上げられる現場社員の反発を和らげるためのコミュニケーション方針。